TheGameIsOn

ゲームの事を浅ーくヌルーく語るブログ

「1」以上の価値を生み出す事に必死コく

デジタルのゲームを制作すると云うことを繰り返していると、ゲーム性について考えることはそれなりに機会が多い。有利と不利のバランス、三つ巴優劣の関係性、反復の中毒性などなど、語り尽くされた議論を自問自答して繰り返す。

 ある時までは「自分が何を面白いと感じるのか」と云う点が唯一最上級の価値観であったのだが「誰が何を面白いと感じるのか」と云う視点に移っていった。その視点で物事を考えるようになると「自分が面白いと感じていたナニか」と云うのはどういった成分で構成されていたのかが少しずつ見えるようになってくる。表面的なコーティング要素に面白さを感じていたのだとか、実は単なるオプション要素が好みだったのだとか、だ。

「1」と云う種

時代の要求によって表現方法は移り変わるもの。しかし表現方法だけから受け取る面白さの賞味期限は案外短い。「新しさ」の獲得は常に必要とされながらしかし暫くして必ず「古さ」に変わるのが宿命だから、なんとも悩ましい問題だ。面白いと感じているものの「種」を見つけていなければ、時代に合わせた表現方法を模倣したところでそれはただのコピーでしかないワケだし、表現方法だけに注視するだけでは駄目なのだ。

 そしてそれぞれの要素は足し算ではなくかけ算で関わり合っている。

 それぞれが「1」ではどれだけの要素を用意してもやはり「1」でしかないようで、ましてや「1」よりも少ない要素が混じると全体としては全ての要素は都合「1」未満になってしまうから恐ろしい。もちろん全てを数値的に評価することなど出来ない。ただ考え方としてはなかなか気に入っているのでそう思うようにしている。

アイデアがいくつ溶け込んでいる?

ゲームプランナーはつい「ゲーム性」だけに注視して考えがち。しかし昨今は、それだけでは駄目になってしまった。

 ゲームを構成するそれぞれの要素について、最低でも「1」以上であるように気にしておかないと、苦労して考えだしたアイデアは本来の魅力を下回る形で提供することになってしまうからだ。プログラマもグラフィッカーもコンポーザも同じ。この「1」という価値を考える時に「誰がそう感じるのか」と云う視点を持たなくてはならないのだから、本当にいろいろな事を考えて見て感じなければならない。こんな仕事、僕を含めみんなよくやるよね。それぞれの要素で「1」よりも大きい価値を実現する為に必要な行為と云うのは状況によって変わるので特定しにくいのだけど、ヒントは「二つ以上のアイデアが溶け込んでいること」ではないかなと思っている。たった一つのアイデアだけでは既に勝負できない程にゲームは「メディアとしての成熟」が進んでしまっていると思うからだ。

 ストイックな感覚で絞りに絞ったワンパンチで突き進みたい気分になるのもよくわかる。が、そのパンチは既に他の誰かによって打たれまくった後なので殺傷能力が低いことが多い。スマートフォン市場の登場によって、その誰かはもはやプロだけではないのだから。あともういっこだけ、アイデアが必要になる、あともういっこだけ。

最後に

一番難しいのはこの「あともういっこ」の部分を考えることだと思っている。考える順番は二番目なのに一番難しい。今日も「あともういっこ」を考える。■■